造物主の置手紙

生物の名前や系統について

シンプソンは鯨偶蹄類を使うべきでないと言うだろうか

本記事は、Prothero et al. (2021)やAsher & Helgen (2010)による「鯨偶蹄類(Cetartiodactyla)という名称は使用すべきではない。代わりに偶蹄類(Artiodactyla)を使用すべきである」という主張に対するコメントである。

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主張の根拠とされるのは、タクソン名の選択に関してAsher & Helgen (2010, p. 2)が提唱する次の2つの基準である。

  1. the first, published name for a monophyletic group with unique content
  2. based on terms deemed familiar and logical to as many students as possible

1つ目の基準は要するに先取権(priority)のことである。もちろん国際動物命名規約における先取権の原理(Principle of Priority)は科階級群よりも高次のタクソンには適用されないため、今回の鯨偶蹄類の件に当てはめることはできない。しかし、ここでAsher & Helgen (2010)はSimpson (1945)を援用する。

1945年当時の動物命名法の規約は、国際動物命名規約の前身である万国動物命名規約であった。シンプソンは万国動物命名規約には改善が必要であると考え、属よりも高次のタクソンに関する全31項からなる独自の命名法を提案した。これがSimpson (1945)の指針である。

Asher & Helgen (2010)はこの指針を参考にした基準に沿って主張を展開するのだが、その是非はひとまず置いておく。では、そもそもSimpson (1945)の指針そのものを偶蹄類-鯨偶蹄類問題に適用するとどうなるだろうか?

まず、規則26によれば、下目以上(=科階級群より上)のグループはタイプを持たないため先取権の法則(the law of priority)は適用できず、先取権はただ判断の参考として使用される。そして規則27では、第一に考慮されるのは用法(usage)であると明言されている。規則28は新名称を提唱すべきではない条件を、規則29は旧名称および現名称が拒否される条件を定めている。そしてその中で登場する「妥当な修正」1という用語については規則30で整理されている。

鯨偶蹄類が規則28によって提唱すべきでないとされるか否かは、偶蹄類に鯨類を含めることが規則29Aおよび規則30Aに該当するか否かによって左右されると考えられる。

規則30Aによれば、グループを追加する「妥当な修正」によって既存の名称を使い続けるには、追加するグループの形態がすでに含まれているものと親和的であり、かつ追加するグループの数(種数?)および形態的多様性が小さいという条件を満たす必要がある。種数と形態的多様性については、鯨類の方が小さいという条件を満たすかもしれない。しかし、鯨類の形態は伝統的な偶蹄類の形態と親和的であるとは言えないだろう。これによって偶蹄類への鯨類の追加は「妥当な修正」ではない。よって、規則28の「新名称を提唱すべきではない」とする条件から免れることになる。

さらに規則29Aによれば、グループの概念が以前に理解されていたものと本質的に異なる場合に旧名称および現名称は拒否される。偶蹄類という名称が蹄の数が偶数であることに由来するので、グループの概念には暗黙的に陸上性であることを含意していると考えれば、鯨類を含めることによってグループの概念が本質的に変更されたということもできるだろう。これが正しいとすれば偶蹄類に鯨類を含めることは拒否されることになる。

したがって、Asher & Helgen (2010)の基準ではなくシンプソンの指針に基づくのであれば、偶蹄類に鯨類を含めるよりも鯨偶蹄類という新名称を使用する方が適切であるようにみえる。

よくよく考えてみると、シンプソンという人物は後年の体系学論争では進化体系学派として位置付けられる人である。そのような人物が、偶蹄類に鯨類を含めることを許容するような指針を作り上げるだろうか?私にはあまりそう思われない。

引用文献


  1. Asher & Helgen (2010, p. 5)は「妥当な修正(reasonable emendation)」という用語を誤って理解しているようにみえる。